瀬戸内国際芸術祭2019の小豆島へ行ってみました(二十四の瞳映画村編)
小豆島オリーブ公園で昼食を済ませて、再び国道436を東方面に進み、醤の郷(ひしおのさと)を経て二十四の瞳映画村へ行きました。
醤の郷(ひしおのさと)
国道436から反れて二十四の瞳映画村に向かっていると坂手港までの県道沿いに醤油や佃煮の工房が点在し、関連する売店や資料館があります。明治時代に建てられた工房や蔵を保存して行こうとする町の取り組みが感じられます。
私は、醤油はスルーして、瀬戸芸を鑑賞しに路地を散策しました。
sd25 オリーブのリーゼント
作家:清水久和
柑橘も作品の一部ですか?
sd26 ドットアーキテクツ Umakicamp
建築家:家成俊勝、赤代武志により2004年共同設立された組織
「ハウスメーカーにも、建築家にも頼ることなく、有るもので持てる自分たちの力で家を建てる」という解釈で合っていますか?
sd24 大きな曲面のある家
建築家:島田陽
公衆トイレ。醤油の街にある樽になじむ曲面。
sd29 オーケストラピット
作家:ローザ・バルバ
オリーブの若木が植わった畑に足場板が、樹々を縫うように敷かれ、スピーカーからは人の声のような音が流れていました。
二十四の瞳映画村
幼少の頃より、「小豆島」=「二十四の瞳」のイメージが脳裏に焼き付いているのですが、原作も映画も殆ど知らない私がなぜなのか、根っこのところを解明することが今回の旅の目的の1つでした。
映画村に入場時渡されたポストカード
「二十四の瞳」についての予備知識
壷井栄
原作の壷井栄は、小豆島の醤油樽職人の娘として明治32年(1899)生まれ、役場務めを経て大正14年(1925)上京し同郷の詩人壷井繁治と結婚、小説家となり300編にのぼる作品を残しました。戦争がもたらした人類の不幸、平和への願いを込めて「二十四の瞳」を書いたのでした。
映画
映画「二十四の瞳」は、監督木下恵介、主演高峰秀子で撮影され、1954年公開されました。その後10回も映像化されたそうですから、私も幼少の頃何かの機会に目に入ったのでしょう。
ストーリー
昭和3年、岬の分校に大石久子という洋服を着た若い先生が自転車に乗ってやってきたところから始まり、12人の生徒との愛情あふれるふれあい、本校に転任での生徒たちとの別れ、再会、やがて戦争がはじまり生徒それぞれの身の上の出来事、終戦後に集まったのは7人でした。
「二十四の瞳映画村」のパンフレットからの抜粋
二十四の瞳映画村バス停近辺
醤油樽のバス停
レトロなボンネットバス
売店
sd33 愛のボラード
作家:清水久和
二十四の瞳映画村
入り口のシネマ・アートウォール
ギャラリー浪萬屋
チリリン屋
京宝亭
ギャラリーや雑貨屋さんが並ぶ。
村の真ん中を海の魚が泳ぐ汐江川。
餌付けされた魚は人に慣れています。
ギャラリー松竹座
岬の分教場
教師の家が隣接。