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私、62歳(2018/8現在)腰痛で悩む男、2012年5月都会の喧騒から離脱しこの瀬戸内海の離島前島(緑島)に妻とワン公=2人+2匹で移住しました。
何故田舎暮らしなのか、島に決めた理由はなにか、仕事について、生活ぶりは、等々。
私の経験した移住生活の日常を紹介したいと思います。

田舎暮らしを検討している方への参考になればと思い情報発信します。

 

田舎暮らしの動機

私が、田舎暮らしを考え始めたのは、突っ走って来た仕事もいよいよ先が見えてきたころです。
年老いた家族の問題もありました。
東日本の大震災、津波による原発の冷却電源消失でメルトダウンと未曽有な災害と最悪の人災が起き、ふと冷静に身の回りを見渡せば、ヒートアイランドに起因するゲリラ豪雨の頻発、一寸した事故で何十万人もに影響する電車の過密ダイヤと連鎖、東京一極集中の日本の体制は瀕死の重態に感じたのでした。
sibuya_20191125_150201 (800x450)みんな田舎に分散しなければ、東京に何かあったら日本は潰れてしまう、と心が叫ぶのでした。

また、”田舎暮らしで悠々自適な生活”のフレーズを頻繁に耳に目にするようになり、いつしか気持ちが田舎を目指していくようになりました。
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田舎暮らしの物件さがし

窓から海を眺める家

私の田舎暮らしの第1の条件は、家から海が見え、近いこと。それで最初に浮かぶのが相模湾岸、駿河湾岸ですが、気象庁の南海トラフのマップやそろそろ富士山も噴火か?などで却下。

千葉・茨城・福島は、当地の人たちには怒られるが溜まりに溜まった福島原発の汚染水はいつか海に放出するしかなくこれは親潮に乗って沿岸は少なからず汚染されるだろうと個人の見解です。

日本海側、東北、北海道は冬の寒さが辛く夏遊びに行っても住みたくはないところ。

沖縄、小笠原、海外、やっぱり遠い。

日本地図で目に付くのが瀬戸内海、台風の影響も少なく、津波でも台風の高潮でもせいぜい銚子沖の波のような穏やかな海、温暖な気候の日本のエーゲ海がロックオンされてしまいました。

空き家バンク・自治体の斡旋する空き家

そうなれば、瀬戸内海のリサーチ開始です。空き家バンク、自治体の移住者への対応と手あたり次第です。
瀬戸内市に登録されている空き家も何件か内見に東京から何度か往復しました。自治体で斡旋している物件も多数あり移住者への優遇措置付きのものもありました。
自治体は地域活性化のために、移住者に対していろいろな支援をしているので、移住を検討している方はホームページで確認するだけではなく、実際に窓口に行って聞いてみた方がよいと思います。ホームページでは判らないことがたくさんあるようです。
ただし、過度の期待は禁物、何事もギブ&テイクなのです。
自治体も経営が大変で慈善事業で移住支援をしているわけではありません。地域活性化は即ち人口増、つまり若い夫婦に移住してもらいたいのです、起業家か資産家からの税収増が魅力なのです。何度か自治体を訪問しましたが、『けんもほろろ』とは言いませんが、あまり良い印象はありません。私のような手ぶらの老人が移住しても地域のためにはならないのです。

前島の別荘を購入

私は、結局、地元の不動産屋がWeb掲載している物件に釣られてしまい、購入しました。
それは、まず窓から海が見える、敷地が広く、一部フェンスで囲われていること、これは、ワン公ののびのびサークル決定でした。また、フェリーで渡る島物件というのも非日常で妻はご満悦、家はとても古いですが私たちが生きている間は持ちそうだし、何よりも畑があり、広大な敷地に果樹がたくさん植えてあるのが魅力でした。
また、折良くなのか悪くなのか、春真っ盛りの内見で敷地に咲き乱れる野草、見事な満開の桜に魅了されてしまいました。これらが後からどれだけ大変かを考えもせずほぼ即決で購入したのです。

20170412_桜満開

 

住んでみたら驚きだらけの田舎物件

引っ越して最初のころは、ユートピアかと思えるほどでした。朝は、小鳥たちのさえずりで目覚め、ゆっくりとワン公たちと浜辺まで散歩、その間、車にも人にもすれ違わない。畑から野菜やハーブを摘んでサラダを作り、バルコニーのテーブルで海を眺めながらゆったりと朝食。隣の生活音もないし、道路の騒音もない。日の光は優しく差し込む。これこそ求めていた田舎暮らしと、静寂とゆとりに浸っていました。
今も生活の本質は最初と変わらず、ユートピアですが。住んでいるうちにいろいろな事が起きていくものです。

小豆島

瀬戸内海式気候

前島の天候は、春・夏・秋はとても過ごしやすいと思います。ただ穏やかな天候も時折一変し、激しい風に見舞われることがあります。ここは見晴らしがいい分、風当たりが強いのです。しかも、島は、遮るものがないので風は幾分強いようです。温暖な日本のエーゲ海も一旦荒れると嵐が丘と化すのです。

そしてここは晴れの国おかやま、さらに島は雨も少なく、夏は植物たちに水やりは欠かせないですが、本土側と比べると2℃ぐらいは気温が低く涼しいです。しかし、冬は、滅多に雪が降ることはないのですが、意外にも寒さが結構厳しいです。

虫たちと共生

田舎に住むには、虫たちと共生しなければなりません。夏は、虫たちの天国なのです。早朝からクマゼミの大合唱が『ワシッワシッワシ~』と始まります。ミンミンゼミやアブラゼミの鳴き声は、打ち消されて聞こえないほど大音量でうるさいです。

オオスズメバチが果実や好物の樹木があると大群でやってきてむさぼり、近づくと威嚇されます。
果物には歯形を付けて熟れるのを待っているようです、口から出る酵素の効果だと思いますがマーキングされた実は熟れるのが早いです。
樹木の幹をかじるのは、巣を作る材料集めでしょうか。
洗濯物の花の香りにも誘われてやってくるので、最初は妻もパニックに陥っていました。
まだ刺された経験はありませんが、人を死に至らしめうる強敵です。

家の中には、ムカデが毎晩のように入ってきます。サッシのレールの隙間は彼らの出入り口です。靴の中、洋服の中どこに潜んでいるか分かりません。ただ、刺されると一時的に激痛が走りますが、キンカンを付けてしばらくすると治ります。足の赤い個体と黄色い個体がいます、♂♀なのでしょうか、どちらか一方を見つけると2日を明けずに必ず他方に遭遇します。ペアで行動しているのだと思いました。
撃退には、「ムカデキンチョール」がとても有効です。初夏のムカデが家に侵入を開始する時期に侵入口に噴霧しておくと、姿を見ることがなくなりました。

引っ越してきた初日の夜、体調10cmはあろうかと見えるオオグモに遭遇し、大慌てでしたが何の危害を被ることもないのでその後は冷静に火箸でつまんで外へ出します。

彼らと出会うのが初めてでしたが、付き合い方を1つ1つ覚えていき何年か経った頃には隣人的なものです。

前島フェリー

食料・日用品の買い物は車が必須

スーパーは、前島フェリーで牛窓に渡り車を十数㎞走らさねければありません。渋滞はないですが遠いです。効率よくまとめ買いしたつもりでも、後から必要なものが出てくるもの、3日に1回以上は調達に出かけます。車の距離はどうしても延びていきます。

簡易浄化槽

下水については、今までは、隔月で上水道と合わせて引落されていたくらいの認識でしたが、ここでは公営の下水設備があるはずもなく各家に簡易浄化槽を備えています。

不動産屋から教えられていた浄化槽の管理を請け負っている業者に電話をしたところ『この家は登録されていませんねえ』『家を建てたら役所に浄化槽を登録し月に一度の点検、年に1回の浄化槽の清掃が行政により義務付けされているんです』とのこと。

前の家主は、登録せずそのまま使っていたようなのです、保養所とは建前で個人的に別荘にしてただけなので気にならなかったということでしょうか。

しかし、私たちはここで暮らしていくので行政に従うまでで、早速浄化槽の登録と清掃をお願いしたところ浄化槽の大きさが”30人用”と規格外、普通の住宅用では大家族用でも”8人用”で4倍もあります。清掃料金も約4万円、さらに驚いたことに清掃後、浄化槽を満水にするのに水道をひたすら注ぎ7t

ここでまたまた新事実、水道は自宅タンクに一度貯める方式なのは理解していたのですが、タンク備付のポンプ配水に水道の給水が全く追随していないのです。2t程のタンクはすぐに空になり、家の中の蛇口はすべて涸れトイレも使えず島のトイレに車で走ることになり、結局浄化槽を満水にするのに3泊掛かりました。翌月水道代の明細を見たら通常の2.5万円増でした。

 

上水道

水道の水については、田舎なのでおいしい水が蛇口をひねれば飲めるような想像をしていたのですが、とんでもなく不味い、浄水器は必須です。
その上夏は約30℃、冬は約15℃の水温なのです。それは、島では浄水場より遥か遠いこと、また、島の中でも自宅が高いところにあるので、高台で一度タンクに貯めた水の供給を受けてさらに自宅のタンクに貯めているためなのです。

プロパンガス

プロパンガスは、地元の燃料店とJAがあり、前島でもどちらかを頼んでいるとのこと、地元の燃料店に頼んでプロパンガスを設置してもらいましたが、だいぶ高いようなので何か月か経った頃ガスボンベを運んできた人に尋ねたところ料金表を4種類持っていました。気になるので、料金体系を聞き出すとわが家は別荘料金だそうです。すかさず抗議して住宅料金に変えてもらったが、残りの2種類の料金体系が気になるところ。

電気

電気については、中国電力は安いと思われます。というか、最近では電力の自由化でいろいろな契約があるのでわからないところ。ただ、この辺りはスマートメータの導入はまだまだ先の話です。

国民健康保険料は、引っ越してきた年は桁違いの高額請求で驚きました。会社をリタイヤして1年経ていたので前年度の所得といえば失業保険の残月ぐらいなのになぜかと役所に聞きに行ったのですが、対象の人口の問題が一番大きいようでした。今現在は、年間数万円で落ち着いています。それと同様に地方税も割高です。


子供の通学

島内には幼稚園も学校もありません。前島フェリーで牛窓に渡ると徒歩圏内に小中学校があります。高校は、バスで通わないと近くにはありません。
学校に通う子供がないので、事情は分かりません。

病院

60歳を過ぎると彼方此方ガタが来ていて欠かせないのが医者ですが、島内には病院はありません。
緊急の場合は、救急車が来てくれます。夜中でもフェリーを動かしてくれるのです。ドクターヘリも来てくれるそうです。
問題は、通常の受診です。前島フェリーで渡っても徒歩圏内には大きな病院は無く、診療所らしきものはあるのですが、情報がないので受診していません。
大体の症状は、岡山市まで通院していますが、ネットで検索して遠くまで出かけたこともあります。島の人たちも、最初は近くの診療所で受診ですが、手に負えないと岡山市内の大きな病院に紹介されているようです。

移住して一番困ったのが、歯医者でした。口コミはまずまずの歯科医院に行ったのですが、ブリッジを壊されそうになったり、助士の対応が挙動不審だったりで、急遽、東京まで以前の係り付け歯科医院に出かけたことがありました。

田舎暮らしには、健康な体が必須ということを痛感しました。

 

移住者は田舎コミュニティへの侵入者

私たち移住者は、ネイティブに暮らしている地元の人たちから見たら、どこの何者か分からない侵入者だということを忘れてはならないのです。挨拶をすればにこやかに返してくれるし、話をすればいろいろな事を教えてもくれるとても素朴でいい人たちですが、そう簡単に侵入者に心を開いてはくれないのです。
共同での掃除、村の行事など集まりがあれば必ず出席し、まずは皆さんに顔を覚えてもらうことから始めることだと思いました。そうして少しずつ打ち解けていけるものだと思います。ただ、何年経っても侵入者は侵入者のままなのです。そうわきまえることが、受け入れられるための第一歩だと思います。このスタンスさえマスターすれば、島の人たちともうまく付き合っていけるような気がします。

未だに恐縮して困ってしまうのが、貴重な野菜や新鮮な海の幸を頂いたとき、その心にどうお返ししたらよいのかということです。島の人たちは、トマトを貰ったら、お返しに相手の方の畑で育てていないナスをお返ししたりと、歴史ある物々交換の論理があるようなのです。お互いに補い合って自然なのです。このような光景は都会暮らしでは学習できていない欠如したコミュニケーションなのです。いつも頂いてばかりなのでどこかに出かけたときにお土産を買ってきてもそのお土産にお返しを頂くのには困ってしまう。

 

田舎で何をしたいか、できる仕事は

私の場合は、ただ只管(ひたすら)田舎暮らしがしたい、それだけでした。『もうITにもハイテクにもましてや目先の利益を最優先する会社組織には関わりたくない、人は土の上で暮らし、太陽とともに起き、土とともに生きていく』といつも心が叫んでいたのでした。

そんな状態で田舎暮らしを始めたため、何をしたいという目的はなく、資金についても計画的に準備できてもいないほぼ手ぶらで飛び込んでしまったものでした。

田舎に移住をお考えの方は、移住の目的を明確にし家族とよく話し合われることをお勧めします。

13705_家庭菜園転機は、前の家主が残してくれた果樹や、菜園の野菜でした。彼によって作付けされていた農作物を収穫して、気づいたのはトマトもキュウリも露地で完熟した野菜は瑞々しくとても美味しいのです。流通過程で熟させ販売されるそれとは格段に違い、香しく美味しいのです。私たちも野菜や果実を自ら栽培して、みんなに味わってもらいたい。そしてそれが生計の足しになれば尚よい、と思い始めたのです。

農業については、全くの無知でゼロからのスタート、全く無謀な思い付きでした。ただ、思い立ったら周りが見えない、この前島で農業を始めよう、自然の中で農作物を育てたい。妻も乗り気です。

 

就農へ

農作物を育てるには、まず、学ばなければなりません。家庭園芸の本やネット検索ではどれだけ時間がかかるだろう、地元の農家の方でだれか教えてもらえないものか。役場に支援の問い合わせをしたところ、岡山県で新規就農研修制度(*)があるが年齢制限55歳までで、農協に問い合わせるのが一番だろうとのことで、地元の農協のドアを叩いたのでした。農協では親身になって相談に乗っていただき、牛窓の新規就農者を紹介していただき経験談を話していただいた。また、新規就農者を支援し受け容れている農地、指導者の斡旋などを行うプログラムもあるとのこと。しかし私たちは、前島で農作物を育てたい旨を強く伝えると、離島なだけにいろいろな問題があることを言われましたが、検討してみると云ってその場は別れたのでした。

何日かして前島の農家の人を紹介していただいたのでした。それが、私たちの農業の師匠との出会いでした。
*:岡山県のホームページ参照

圃場の整備

圃場の整備 大雨に備え水の逃げ道を設ける

農業の師匠

彼は、トラックの運転手をしたり、地元の自動車部品の下請け工場で夜勤をしたりの後、家業の農家を継いだ苦労人でした。
まわりの農家に負けまいという意気込みがあり、粗暴な面もあり時に人に強くアタリますが、反面人に気遣いの出来る繊細な神経の持ち主で優しい人でした。

理論や細かい理屈はなし、とにかくやって見せる、見て学べと、説明なしで次々と作業を進めるのです。それを見よう見まねで必死についていく日々でした。

奴隷のような日々

農作業の手伝いは、朝早くから日が暮れるまで、休めるのは雨で畑に入れない日だけです。体格の良い師匠は軽々の作業も、私には大変な重労働です。まるで中世の奴隷のような日々でした。体がガタガタになって、雨が降ったら病院に通うのが常となっていました。

そんな生活が1年ほど続いたころ、周りの人からは『すっかり百姓の顔になったな』と言われるようになっていました。
日焼けしただけではありません、元はなで肩の腹の出た疲れたサラリーマンそのものだった私が、筋肉が付き体は締まり妻も惚れ直す??体系になっていました。

20160327_キャベツ収穫

キャベツ収穫

耕運機のエンジンのかけ方すらわからない

キーを回す、またはエンジンスイッチを押すだけの普通車や原付しか運転した経験のない私には、耕運機を前にどうやってエンジンをかけるのか分からなかったです。燃料も、混合ガソリン、軽油、ガソリン